BOOK&

小説、エッセイ、たまに哲学。マイペースに読み進めてます。

カント「純粋理性批判」

なぜ手にとったのか?

入門書を読んでいて、ハイデガーの考え方は新しくて実践的と思ったことがきっかけです。そう、根気がまったくなく、わからない箇所は飛ばす読書を行っているため、哲学に関しては入門向けの本ばかり読んでました。

いきなり「存在と時間」を読んでも、理解できないと思い、西洋哲学のにわか学習を行うことに。年末暇だったのもあり。

 

解説書をまじえつつ、3か月くらいかけてカント→フッサールハイデガーニーチェの順番で読了。今のところ、ハイデガーを超えて、ニーチェへの共感が圧倒的なのでまたアップしていきます。

面白いと思ったことを中心に書いていくので、専門的な内容を求めている方には物足りない内容かと思われますのでご了承ください。

さっそく解説本 竹田青嗣「カント『純粋理性批判』」

純粋理性批判

とても原書では読めないと思ったので、解説本に頼り竹田青嗣「カント『純粋理性批判』」をアマゾンにて買ってみた。

完全解読 カント『純粋理性批判』 (講談社選書メチエ)

完全解読 カント『純粋理性批判』 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

3つの認識分類

 

私たちの認識のあり方は、直観(感性)・悟性・理性に分かれるという。

 直観はわかりやすく、目で見たり触れたり聞こえたりの五感。

そして私たちはこの直観というフィルターを通じて、世界を経験しているという。

その際、リンゴという「物自体」の完全な認識はできないというのがカントの言い分。あくまで感性というフィルターを通じて認識した「現象としてのリンゴ」しかわれわれは知りえないという。

 

現象とは?

「物自体」が意識に「現れる」ことが「現象」

 

≪感性≫先験的感性論

感じ取る枠組みとしてアプリオリな(あらかじめ定まっている)空間と時間という形式がある。

たとえば、リンゴを見て、大きさ(空間)・いま見ている(時間)という判断を自然としているように。

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≪悟性・理性≫先験的論理学

同じく、判断や考えることについてもアプリオリな原理がある。

感性から入ってくる情報を綜合して、1つの認識にまとめあげる能力が備わっているという見方のようです。悟性については「カテゴリー」といって数学的・力学的にさらに細分化されていますが省略します。

そして、大事なのが理性。

直接知りえない世界の姿を推論する能力。

ここからが面白くなってくるところで、結局神の存在についての理解に直結してくるのです。

神はいるのか?

つまり、理性を駆使して、神の存在を認めるという答えになる。

一切の経験を度外視して、ただ概念のみから最高存在者の現実存在を推論する「存在論的証明」

道徳法則の認識において、神の存在を「要請」するというスタンス。

目に見えなくても、何の証拠もなくてもいるという。

もともとリンゴ自体を知ることはできないというところからつながってますよね。

私たちが感性として経験できない世界があることが前提なので、論理的に筋が通ってさえいればオッケーということで新鮮に感じた。強引すぎてそうなのかと納得した感じ。

 

定言命法へのつながり

この流れから、定言命法(かくあるべし)もすんなり理解できる。

神と来世がある→最高善を目指すべし=幸福に値する人間になるために何をなすべきか?理性の究極の使い道はそれを考えることだという。

条件つきの行動原則などないという激しめの考え方。

 

幸福になるために何をなすべきか?→世渡りのための実用的法則。ケースバイケースの対応が求められる。

 

 感想まとめ

 信じたいものを信じていいんだという気がしてちょっと気が楽にはなったけど、ニーチェを読んだ今となってはその姿勢は逃げもあって危険だなと思ってます。

竹田先生の本は初心者に向けてわかりやすく書かれていて自分も頭がよくなった気になってくる。

このシリーズは一部絶版になってたり本屋さんの在庫もなかったので、最初に買うものをピックアップしてネットでまとめ買いして臨んだ。